山下清は、大正11年3月10日に、東京浅草に生まれる。
父は、新潟県水原の生まれで、通いの板前だった。
母は、新潟県佐渡の生まれ。
山下清が生まれてすぐに関東大震災にあい、一家は、新潟市に居を移すことになる。
苦しい生活の中、一家は、板前の職を求めて、大正15年に浅草に戻る。
清は、知恵遅れで、小学校のときは、学業ができないので、
級友に馬鹿にされて、学校は、清にとって、楽しい場所ではなかった。
清の姓の山下は、母方の姓である。
父方の姓は、大橋といった。
父は、昭和7年に脳出血で倒れた後、亡くなった。
母は、当時、知恵遅れの清を頭に3児をかかえて、生活に苦しい日々を送っていた。
再婚をしたが、結局、別れることとなる。
母方の姓となった山下清は、その後、精神薄弱児の収容施設である、千葉にある八幡学園に入ることとなる。
昭和9年5月22日、小学校6年生のときである。
学園では、山下清は、ワルガキそのものであった。
そのワルガキの心の安定を助けたのが、貼り絵だった。
清の貼り絵は、人々の注目を集めるものとまで、なっていった。
学園でいる間中、清は、貼り絵に没頭していった。
清の貼り絵のテクニックは、一流の画家の賞賛を受けるまでになっていた。
昭和15年11月19日、山下清は、突然学園から姿を消してしまう。
学園にあきて、放浪の旅に出てしまったのだ。
この放浪の旅が15〜16年続く。
山下清は、放浪の旅に出ながら、ときどき、学園に戻り、貼り絵を制作し、また、旅を追想しては放浪日記を書いていた。
山下清の純真無垢な精神が織りなす貼り絵の世界は、知識人に感動を与えていくようになっていった。
昭和31年、東京大丸で開かれた山下清展は、爆発的な人気となった。
有名になるにつれて、作品はかわっていった。
山下清は、絵は好きかと聞かれると仕事だからと答えていたという。
貼り絵から、フェルトペンの絵、曲面に描く陶画、染め絵、もともと天性の絵描きである山下清は、なんでもこなしたという。
昭和46年7月12日、山下清は、49歳という短い生涯を終えた。
有名になり、現在の天皇も皇太子時代に山下清展を訪れたほどの、大画家になった山下清だが、もしかして、本当は、ぼ〜っと、無心に、ただ頭に浮かぶ風景をひたすら貼り絵にしたかっただけなのかもしれない。
(参考資料:山下清の絵本 ノーベル書房)
2008年04月08日
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